本帖最后由 東雲待宵 于 2023-7-1 01:53 编辑
如果喜欢听YOASOBI的歌或者多多少少对 「夜に駆ける」这首歌有印象的话可能知道我说的是哪位,没错,就是Ayase。
加上他本人是近年来最受期待的新人P主之一,在随着「ラストリゾート(Last Resort)」一曲而被大众而熟知之后,Ayase乘着近年来Youtube系音乐组合兴起的东风组建了自己的网络音乐组合「YOASOBI(夜遊び/夜游)」,组合的第一首曲子「夜に駆ける(向夜晚飞奔而去)」则在投稿几个月后因为在tiktok平台上的走红,而在极短的时间内成为了几乎每一个试唱者、VTuber都会翻唱的网络名曲,甚至后边直接上了红白。
但今天想安利的不是晚上跑步(bu),而是他的第一张EP中的两首歌,「幽霊東京」和「夜撫でるメノウ(夜抚玛瑙)」 ,词曲都是他一人所作。
先贴一下链接和歌词~
【中日字幕】幽灵东京 - Ayase (self cover)幽霊東京 @ ***下载/download/otomedream/ダウンロード*** 日剧字幕组_哔哩哔哩_bilibili
夜抚玛瑙/Ayase (self cover)_哔哩哔哩_bilibili幽霊東京 燦然(さんぜん)と輝(かがや)く街(まち)の灯(あか)り
街道上璀璨的灯火 対照的(たいしょうてき)な僕(ぼく)を見下(みお)ろす
俯视着对比鲜明的我
あのビルの間(あいだ)を抜(ぬ)けて
从那栋高楼的缝隙间穿过
色付(いろづ)き出(だ)したネオンと混(ま)じって
与点上光彩的霓虹灯混在一起
僕(ぼく)の時間(じかん)とこの世界(せかい)をトレード
用我的时间换来这个世界
夜(よる)に沈(しず)む
没于 ***下载/download/otomedream/ダウンロード*** 之中
終電(しゅうでん)で家路(いえじ)を辿(たど)る僕(ぼく)の
坐在末班电车回家的我
目(め)に映(うつ)るガラス窓(まど)に居(い)たのは
玻璃窗上映于眼中的
夢見(ゆめみ)た自分(じぶん)じゃなくて
并不是梦中的我
今(いま)にも泣(な)き出(だ)してしまいそうな
感觉快要哭出来了啊
暗闇(くらやみ)の中(なか)独(ひと)りただ迷(まよ)っている
孑然一身迷失于黑暗之中
哀(かな)しい人(ひと)
真是悲哀 大丈夫(だいじょうぶ)、いつか大丈夫(だいじょうぶ)になる
没关系,一切都会好起来的
なんて思(おも)う日々(ひび)を幾(いく)つ重(かさ)ねた
我曾无数次的这样想过
今日(きょう)だって 独(ひと)り東京(とうきょう)の景色(けしき)に透(す)ける僕(ぼく)は
今天也在东京繁华景色中显得透明的我
幽霊(ゆうれい)みたいだ
就像幽灵一样
失(うしな)うことに慣(な)れていく中(なか)で
逐渐习惯失去
忘(わす)れてしまったあの願(ねが)いさえも
每当回想起
思(おも)い出(だ)した時(とき)に
那已然忘却的愿望
涙(なみだ)が落(お)ちたのは
不禁泫然欲泣
この街(まち)がただ
只是因为这街道
余(あま)りにも眩(まぶ)しいから
过于耀眼
散々(さんざん)だって笑(わら)いながら嘆(なげ)く
苦笑着哀叹着自己的狼狈
退廃的(たいはいてき)な日々(ひび)の中(なか)
在颓废的日子里
あの日(ひ)の想(おも)いがフラッシュバック
那一天的思念在脑海中闪现
気付(きづ)けば朝(あさ)まで開(ひら)くロジック
注意之时直到清晨出现的逻辑
僕(ぼく)の言葉(ことば)を音(おと)に乗(の)せて何度(なんど)でも
让我话语乘上旋律 无论多少次
失(うしな)うことに慣(な)れていく中(なか)で
逐渐习惯失去
忘(わす)れてしまったあの日々(ひび)でさえも
即便那段日子已然忘却
それでもまだ先(さき)へ
却依然向着前方
なんて思(おも)えるのは
因为有你存在
君(きみ)がいるから
才让我产生了这样的想法 ねえ
呐
こんな寂(さみ)しい街(まち)で
在这如此寂寥的街道
ねえ
呐
燦然(さんぜん)と輝(かがや)く街(まち)の灯(あか)り
街道上璀璨的灯火
対照的(たいしょうてき)な僕(ぼく)を見下(みお)ろす
俯视着对比鲜明的我
あのビルの先(さき)、手(て)を伸(の)ばして
站在那栋高楼的前方,伸出手
あの日(ひ)夢見(ゆめみ)た景色(けしき)をなぞって
描摹着那一天所梦见的景色
僕(ぼく)の時間(じかん)とこの世界(せかい)をトレード
用我的时间换来这个世界
明日(あした)を呼(よ)ぶ
呼唤着明天
失(うしな)うことに慣(な)れていく中(なか)で
逐渐习惯失去
失(な)くさずにいた大事(だいじ)な想(おも)いを
可每当抱紧那份尚存的珍贵思念
抱(だ)き締(し)めたら不意(ふい)に涙(なみだ)が落(お)ちたのは
不禁潸然泪下
この街(まち)でまだ
是因为还想在这街道上
生(い)きていたいと思(おも)うから
活下去啊
君(きみ)もそうでしょ
你也是这么想的,对吧?
夜撫でるメノウ 終電(しゅうでん)はもうないよ 末班列车已驶离
これからどうしようかなんて 自此以后该何去何从 之类的
迷(まよ)い込(こ)みたいな二人(ふたり)で 想共你迷失一切 两个人
終点(しゅうてん)なんてないの 终究无所谓终点吗
明日(あした)のことなんてほら 明日所谓何事 之类
今(いま)は考(かんが)えないでよね 如今亦无谓介怀了吧
いつもと同(おな)じペースで歩(ある)く 以一如既往的步调而行
街(まち)に二人(ふたり)の影(かげ)映(うつ)す 街上映照出的是两人的残影
並(なら)んで見(み)た景色(けしき)はほら 那肩并肩共赏过的景致
いつまでも変(か)わらないままで 看吧 由此至终亦无所变改
あの頃(ころ)は子供(こども)だったねと 那时那刻如今只是余忆童稚时
割(わ)り切(き)るには傷付(きずつ)きすぎたよね 就结果而言 也过于伤人了些许
思(おも)い出(で)の中(なか)に溺(おぼ)れる前(まえ)に 委身于忆记里 沉溺其中之前
この場所(ばしょ)でさよなら 在此处先说声后会有期
君(きみ)に届(とど)けとこの愛(あい)を 想要传达给你的这份爱
言葉(ことば)にのせる毎日(まいにち)を 言语相互交织的每一天
美(うつく)しく思(おも)えないと 无法将之视作美丽的
いつかは消(き)えてしまうの 如此念头总会消逝吧
これで終(お)わりだなんて此 处已是所谓终点站
不思議(ふしぎ)な気持(きも)ちになるけど 即使心情变得不可思议亦
元気(げんき)でね 祝君安好
いつもと違(ちが)うテンポで笑(わら)う 以与以往相异的节奏而笑着
君(きみ)は今(いま)何(なに)を考(かんが)えているの? 你的话 此刻到底思虑着何事?
わざとらしく萎(しお)れた空気(くうき) 因有意为之而萎靡的空气
少(すこ)し息(いき)が震(ふる)える 连带呼吸亦有些许颤抖
今(いま)まで話(はな)したこと 至今为止的一切话语
全(すべ)て覚(おぼ)えてはいないけれど 虽然记得不甚分明
ありがとうの言葉(ことば)とごめんねと 若然因感谢之词及歉意
上手(うま)く伝(つた)えられなかったから 都未曾好好传达出来
こんな結末(けつまつ)を迎(むか)えたのなら 才会迎来如今的结局
「ごめんね」遅(おそ)すぎたね 那这句「抱歉」 亦迟来了些许
君(きみ)に届(とど)けとこの愛(あい)を 想要传达给你的这份爱
言葉(ことば)にのせる毎日(まいにち)を 言语相互交织的每一天
息苦(いきぐる)しく思(おも)えちゃうほど 蓦然回首时的呼吸仍旧苦闷
いつから変(か)わってしまったの? 到底由何时起变成这样呢?
これで終(お)わりだなんて 对于现在已是终结了
まだ信(しん)じられないけれど 尽管还是难以置信亦
元気(げんき)でね 祝君安好
終電(しゅうでん)前(まえ)のホーム 末班列车前的月台
言葉(ことば)が出(で)てこないな 千言万语亦无可奉告
ここからはもう一人(ひとり)で 自此以后 孑然一身
出逢(であ)わなければなんて 宁可未曾相遇 之类
そんなの思(おも)っていないよ 如斯念头未曾有过
だから笑(わら)って、笑(わら)ってよね 所以笑一笑吧,笑一笑就好
君(きみ)に届(とど)けとこの愛(あい)を 想要传达给你的这份爱
言葉(ことば)にのせる毎日(まいにち)を 言语相互交织的每一天
美(うつく)しく思(おも)えないと 无法将之视作美丽的
いつかは消(き)えてしまうの 如此念头总会消逝吧
これで終(お)わりだなんて 此处已是所谓终点站
不思議(ふしぎ)な気持(きも)ちになるけど 即使心情变得不可思议亦
元気(げんき)でね 祝君安好
君(きみ)に貰(もら)ったこの愛(あい)も 你所给予的这份爱
この手(て)で触(ふ)れた毎日(まいにち)も 以及两手相依的每一天
あんまりにも美(うつく)しいから 这一切皆过于美丽
涙(なみだ)が溢(あふ)れてしまうよ 泪水因而争相涌出
これで終(お)わりだねって 如今这一切要完结了
最後(さいご)の言葉(ことば)になるけど 即使这句将成最后的道别
ありがとね 多谢你 2018年尾,Ayase患上出血(xing)胃溃疡, 乐队原本要发行的新曲,举行的演唱会,全部中止,同时被女友提出了分手。音乐事业中止,病患缠身,为了乐队已花光积蓄的Ayase,每天躺在 ***下载/download/otomedream/ダウンロード*** 上休息,什么都做不了,睁眼就是莫大空虚。
他身无分文,家里被停水停电,停Wifi,手机充电都要到便利店。这两首便是他低谷期的写照。 「幽霊東京」带着我来到了一个虚幻的赛博朋克东京之中。
伴随着吉他的旋律以及如霓虹灯一般闪闪发光的合成器音乐,就像穿梭在凌晨的街道上一样。
这版跟术曲版本的区别就是前奏改成了渐强插入,更能切身体会到那种在夜晚闪耀的大城市中背光站立的孤独感。
尤其是得知Ayase在东京有段时间一度穷到水电煤气话费全都被停的程度后,结合经历再看这首歌的歌词又多了一层韵味:自家停电一片漆黑,窗外是灯火通明的繁华都市,吾行立身,宛如幽灵。 「夜撫でるメノウ」更是歌词里弥漫着离别的忧伤(毕竟公认定理失恋P出神曲)。 PV曲绘插画中蓝紫色的主色调加上少女微笑,略带悲伤,让人感到十分美好但又触不可及。 遗憾中带着留恋,但知道无可挽回所以无奈说服自己以洒脱待之,终究是无法否认记忆的美好,即使如今早已变成利刃。
因为两首歌中都提到了“終電(末班电车)”,所以会有人跟着目前的播放量玩梗,管Ayase叫“300万次没有赶上终电的男人”/“搭了600万次终电回家的男人”。 播放量有多少Ayase就赶了多少次末班车wwww心酸又好笑,也是帖子标题的灵感来源。 第一张EP整体鲜明的Ayase独有风格,伴随而来的也有许多不成熟的问题。 例如在曲子中过于强调不同旋律之间的碰撞,有时会使得整首曲子的结构变得混乱不堪。 那时的Ayase对于音色的选取与制作也相对比较青涩,但歌曲里蕴含的情感同时也很触动我。(是在我认识的P主里第一个打破受音定律的男人 最后用一句歌词结尾吧。 “ | 「最後の言葉になるけど ありがとね」 “即使这句将成最后的道别 多谢你” | ” | ——Ayase投稿文
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